嫌なら断ればいい

カテゴリー │自己肯定感

過去にも時々でてきますし、
今も某事件をきっかけに話題になる、
「嫌なら断ればいいのに」
ってのと、
「現実的には断れないこともある」
って議論について、
自分なりに考察してみます。

自分はどちらかと言えば
「嫌なら断ればいいのに」です。

但し、上位者から「断ってはいけない」と
指示や命令を受けていた場合や、
誰かから
 「断ったらどうなるかわかってるだろうな、、、」
と脅迫を受けていた場合などは、
「現実的には断れないケース」
と言えると考えます。

指示や命令や脅迫を受けていた訳でもないのに、
嫌なのに断らなかったのなら、それはその本人が
自分の判断として「断る権利を行使しなかった」だけです。

しかし
  「現実的には断れないこともある。
   その人が悪い訳ではなく、不可抗力として断れないこともある」
という意見もあると思います。

自分の仮説ですが、
それを不可抗力と捉えてしまう人って、
親や祖父母などから、
  ・上位者からの依頼には従うべき
  ・誘いを断るのは無礼である
みたいな価値観を教えられて(植え付けられて)きた、、、
或は、
教わった、植え付けられた訳ではないけど、親なり祖父母の
言う通りにしないと怒られる(或は、怒られないけど
不機嫌になって無視される。今でいうフキハラ)みたいな形で、
経験的に
我慢して従うことが、社会を生き抜くために必要な処世術
という価値観を自ら学習して獲得してしまった人、、、、
そういう価値観がガッチリ自分の中に形成されて
それが常識と思い込んでしまっているから、ほぼ無意識に
  「断れないのは当たり前」
  「断れないのは不可抗力」
って判断になるのかな、、、
と考えます。

そういう人は、親や祖父母を否定するのはつらいかも
知れませんが、冷静、客観的、論理的に考えて
古い価値観は捨てた方が良いと思う訳です。

これからは、そういう判断が出来ないと困る社会に
なると自分は思ってます。ロジカルシンキングの
重要性が高まっているのはそんな理由があるからだと
思います。

親や祖父母を例に上げましたが、会社の上司、学校の先生、
部活や習い事の指導者、などとの関係性の中で「従順であるべき」
みたいな価値観が形成されてしまう場合もあるかも知れません。
今、教育やスポーツの世界で、指導に暴力や暴言を使うことが
許されなくなったのは、子供に
・目下(年齢とか立場とか)の者は従順であるべき
という価値観を植え付けてはいけない
という世の中になったということだと考えます。


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