2025年03月11日00:44
礼儀、謙虚さ と、従順さ≫
カテゴリー │自己肯定感
3月8日は「国際女性デー」でした。日本は、男女平等の
度合いを示すジェンダーギャップ指数、順位が低いことが
話題に上がってきています。また、社会や企業や男性が悪い?
という訳ではなく、そもそも「日本で女性の管理職や政治家が
少ないのは、出世志向の女性が少ないから」という意見
(エジプト出身の某女性の意見です)もニュースになっています。
自己肯定感について以前からいろいろ情報を集めたり、
コラムを読んでいたりする中で自分で思っていることを
ちょっと書いてみます。
礼儀や謙虚さってのは日本人として昔も今も大事だと
思っています。ただ、昭和の後半から平成、令和になる中で
評価が変わってきたものとして「従順さ」ってものがあると考えます。
昭和って、礼儀、謙虚さ と、従順さ って、混然一体の
ものだった気がします。
親、家長、地域の長老、組織のリーダー、etc.の言うことは
文句言わずに絶対に(従順に)聞くもの!従うもの!
怒っていたら理由の確認より先にとにかく謝る!
「なぜそうするの?、そうしなきゃいけないの?」なんて
質問するだけでも、礼儀に反する!、謙虚さに欠ける!
みたいな。
今は、礼儀、謙虚さ は引き続き大事にされているし、良い評価を
受けることが多いと思いますが、「従順さ」ってのは重要性が
下がってきていて、むしろ
「従順」ってのは、
・自分で自分の意思決定ができない
・自分軸がなくて他人軸
・上の人の顔色を伺ってばかり
・どうするのが良いか、正しいかではなく、どうすれば
相手(上の人)に嫌われないか、怒られないかの答えを探す
と捉えられ、従順さはマイナス評価になることの方が
多いと感じます。
特に、VUCA時代と言われる今、そういう人って
企業の経営層には絶対適さないし、管理職になるのも
難しいと思います。
一方、昭和の時代は、礼儀、謙虚さ と、従順さ が混然一体で、
「従順さ」ってのは特に女性にとっては「美徳」とされていた気がします。
子供については従順であることが「よい子」とされていました。
今の大人の女性は、そういう時代に生きてきた女性ですから、
経営層や管理職に女性が少ないのは、「そりゃそうでしょ」と思います。
女性がそこに上がれるかどうかは、時代の変化を理解し、
子供の頃からの習慣として自分に染みついている
「”従順であろうとするクセ”を捨てられるかどうか?」
「自分の意見を主張し、感情でなく論理的にその理由を説明できるか?」
ではないかと思います。
「日本で女性の管理職や政治家が少ないのは、出世志向の
女性が少ないから」ってのは、「従順さ」を自分の美徳として
維持・継続しようとする女性が多い、、、ってことかと思います。
学校教育やスポーツの指導が変わってきたのも、これと関係
していると感じます。「昭和のスポ根」、「体育会系」って、
スポーツを通じて礼儀や協調性や思いやりを身につけさせます!
心と体を鍛えます!みたいな説明でその厳しさが正当化されてきましたが、
明らかにそれらと同時に「従順さ」を叩きこむ指導法だったと思います。
一方、
今、強くなっている競技、チームは、練習内容はハードだとしても、
指導者が選手に厳しくあたり選手に「従順さ」を求めることをヤメたところ。
駅伝の青学(原監督)を筆頭に、高校野球やサッカー、日本代表
チームの監督も、怒ったり、怒鳴ったりして選手を従わせる監督は
いなくなりましたね。以前も使った引用ですが、
>ただただ厳しさを押しつけ、それを乗り越えるように
>急かしてもそれなりには成長する。生ぬるい
>環境よりも教育的効果が高いのは確かだ。
>だが、この指導方法ではいつか頭打ちとなる。
>理不尽に耐え忍ぶことで身につくのは、従順さ
>でしかないからである。創造性は、主体的に
>取り組む姿勢からしか生まれない。
>誰かの指示を待ってしか動けなくなれば、伸び悩む
>のは必然だ。小成は大成を妨げるのである。
自分が大学を卒業して就職した時(1991年、バブルの終わる直前)は、
♪24時間働けますか♪ の時代で、先輩に「ウチの職場は体育会系だぞ」
みたいなこと言われましたし、実際「体育会系の根性!?」と同時に
「従順さ」みたいなのもまだ重宝された時代だった気がします。
しかし、令和の時代、自分は2023年に脱サラする前はベテラン?
課長級で、技術系新卒採用面接の1次面接を担当したり、
自分の職場に入ってきた新入社員の教育などもしましたが、
「体育会系の根性」は、あればあった方がいいかも知れないけど、
必須ではなく、優先度の低い項目になっていました。
説明を受けたり議論して納得したらそれに従う「素直さ」は重視
されますが、「自分の意見や考え方を説明できず、ただただ
言われたことをいわれた通りにやる従順さ」は
全く要求されないどころか、自分の意見や考え方を言語化して
説明できない時点で「はい、不合格」です。
たぶん、世界を相手に商売をしている上場企業は、皆こういう
傾向になっていると思われます。
今時の新入社員への評価で、
「言われたことしかやらない、出来ない。新しいことに挑戦して
もうらおうとすると、それは教わっていませんとか平気で言う。」
みたいなのを見かけますが、
その新入社員、誰に仕込まれたか知りませんが、
考えの古い昭和の大人に躾けられて、「従順さ」を
大事にしちゃっているのかも。
世界を相手に商売をしている上場企業の内部は、ざっくり言えば
欧米化が進んでいます。欧米は昔から「従順さ」は全く評価されず、
いかに「自己主張ができるか」の方が大切にされてきましたよね。
欧米は子供に「従順さ」を求めることもなく、日本のスポ根とか
体育会系の指導を子供にやったら、欧米では虐待と言われちゃいます。
今、「従順さ」に代わって必要とされているのは「論理的思考力」
カタカナで言うとロジカルシンキングの能力だと思います。
自分の考えを、「なぜそう考えるのかの理由」をつけて相手に
説明できる、相手を納得させる能力。
今の時代の「謙虚さ」は、ロジカルに議論して、他の考え方に
「それもそうなだな」と思えたら、自分の主張を引っ込めて、
それに従える、、、ということ。自分の価値観はしっかり持ちつつ、
でも、それを他者に押し付けない、、、ということ。
「自分の意見や考えを表現せずに我慢する」のは
全く「謙虚さ」に該当せず。
最近、〇〇ハラスメントが増え、話題になることが多いですが、
時代が変わっているのに、相手に「従順さ」を強要して、
ハラスメント認定されているものが結構あると考えます。
誹謗・中傷とか、そこまで行かないとしても、やたらと「他者を下げる
発言、投稿をして、相対的に自分を上げようとする」行為、
マウント行為、やたらと「それはマナー違反」とか突っ込む行為、
は、
自分に自信がないであるろうと同時に、
「自分は今も従順さを守っている、ネットで世間の標準?を把握して
それに従っているのに、あいつは、、、」みたいな
謎の嫉妬、羨望、やっかみが入っている気がします。
(自分で、自分はなぜそう考えるのか?を考える習慣のない人、
つまり、論理的思考力の不足している人は、 ネットなどで調べたり、
声の大きい人に「こうなんです」と言われると、盲目的に
それが正しいと考えて従っちゃう傾向を感じる。)
これからの時代に、親、上に立つ人、指導者、に求められるのは
立場や年齢が上であることだけを根拠に相手を従わせるのではなく、
「なぜそうするのか」を論理的に説明できること。
そして何より、メンバーが「自分はこう思うのだけど、、、」、
「なぜそうするの?」と
気兼ねなく発言し、議論ができる雰囲気が作れること。
これ即ち「心理的安全性」の確保ができること。
長くなったので、今日はとりあえずここまで。
この文章は、後々見直して修正していくかも。
度合いを示すジェンダーギャップ指数、順位が低いことが
話題に上がってきています。また、社会や企業や男性が悪い?
という訳ではなく、そもそも「日本で女性の管理職や政治家が
少ないのは、出世志向の女性が少ないから」という意見
(エジプト出身の某女性の意見です)もニュースになっています。
自己肯定感について以前からいろいろ情報を集めたり、
コラムを読んでいたりする中で自分で思っていることを
ちょっと書いてみます。
礼儀や謙虚さってのは日本人として昔も今も大事だと
思っています。ただ、昭和の後半から平成、令和になる中で
評価が変わってきたものとして「従順さ」ってものがあると考えます。
昭和って、礼儀、謙虚さ と、従順さ って、混然一体の
ものだった気がします。
親、家長、地域の長老、組織のリーダー、etc.の言うことは
文句言わずに絶対に(従順に)聞くもの!従うもの!
怒っていたら理由の確認より先にとにかく謝る!
「なぜそうするの?、そうしなきゃいけないの?」なんて
質問するだけでも、礼儀に反する!、謙虚さに欠ける!
みたいな。
今は、礼儀、謙虚さ は引き続き大事にされているし、良い評価を
受けることが多いと思いますが、「従順さ」ってのは重要性が
下がってきていて、むしろ
「従順」ってのは、
・自分で自分の意思決定ができない
・自分軸がなくて他人軸
・上の人の顔色を伺ってばかり
・どうするのが良いか、正しいかではなく、どうすれば
相手(上の人)に嫌われないか、怒られないかの答えを探す
と捉えられ、従順さはマイナス評価になることの方が
多いと感じます。
特に、VUCA時代と言われる今、そういう人って
企業の経営層には絶対適さないし、管理職になるのも
難しいと思います。
一方、昭和の時代は、礼儀、謙虚さ と、従順さ が混然一体で、
「従順さ」ってのは特に女性にとっては「美徳」とされていた気がします。
子供については従順であることが「よい子」とされていました。
今の大人の女性は、そういう時代に生きてきた女性ですから、
経営層や管理職に女性が少ないのは、「そりゃそうでしょ」と思います。
女性がそこに上がれるかどうかは、時代の変化を理解し、
子供の頃からの習慣として自分に染みついている
「”従順であろうとするクセ”を捨てられるかどうか?」
「自分の意見を主張し、感情でなく論理的にその理由を説明できるか?」
ではないかと思います。
「日本で女性の管理職や政治家が少ないのは、出世志向の
女性が少ないから」ってのは、「従順さ」を自分の美徳として
維持・継続しようとする女性が多い、、、ってことかと思います。
学校教育やスポーツの指導が変わってきたのも、これと関係
していると感じます。「昭和のスポ根」、「体育会系」って、
スポーツを通じて礼儀や協調性や思いやりを身につけさせます!
心と体を鍛えます!みたいな説明でその厳しさが正当化されてきましたが、
明らかにそれらと同時に「従順さ」を叩きこむ指導法だったと思います。
一方、
今、強くなっている競技、チームは、練習内容はハードだとしても、
指導者が選手に厳しくあたり選手に「従順さ」を求めることをヤメたところ。
駅伝の青学(原監督)を筆頭に、高校野球やサッカー、日本代表
チームの監督も、怒ったり、怒鳴ったりして選手を従わせる監督は
いなくなりましたね。以前も使った引用ですが、
>ただただ厳しさを押しつけ、それを乗り越えるように
>急かしてもそれなりには成長する。生ぬるい
>環境よりも教育的効果が高いのは確かだ。
>だが、この指導方法ではいつか頭打ちとなる。
>理不尽に耐え忍ぶことで身につくのは、従順さ
>でしかないからである。創造性は、主体的に
>取り組む姿勢からしか生まれない。
>誰かの指示を待ってしか動けなくなれば、伸び悩む
>のは必然だ。小成は大成を妨げるのである。
自分が大学を卒業して就職した時(1991年、バブルの終わる直前)は、
♪24時間働けますか♪ の時代で、先輩に「ウチの職場は体育会系だぞ」
みたいなこと言われましたし、実際「体育会系の根性!?」と同時に
「従順さ」みたいなのもまだ重宝された時代だった気がします。
しかし、令和の時代、自分は2023年に脱サラする前はベテラン?
課長級で、技術系新卒採用面接の1次面接を担当したり、
自分の職場に入ってきた新入社員の教育などもしましたが、
「体育会系の根性」は、あればあった方がいいかも知れないけど、
必須ではなく、優先度の低い項目になっていました。
説明を受けたり議論して納得したらそれに従う「素直さ」は重視
されますが、「自分の意見や考え方を説明できず、ただただ
言われたことをいわれた通りにやる従順さ」は
全く要求されないどころか、自分の意見や考え方を言語化して
説明できない時点で「はい、不合格」です。
たぶん、世界を相手に商売をしている上場企業は、皆こういう
傾向になっていると思われます。
今時の新入社員への評価で、
「言われたことしかやらない、出来ない。新しいことに挑戦して
もうらおうとすると、それは教わっていませんとか平気で言う。」
みたいなのを見かけますが、
その新入社員、誰に仕込まれたか知りませんが、
考えの古い昭和の大人に躾けられて、「従順さ」を
大事にしちゃっているのかも。
世界を相手に商売をしている上場企業の内部は、ざっくり言えば
欧米化が進んでいます。欧米は昔から「従順さ」は全く評価されず、
いかに「自己主張ができるか」の方が大切にされてきましたよね。
欧米は子供に「従順さ」を求めることもなく、日本のスポ根とか
体育会系の指導を子供にやったら、欧米では虐待と言われちゃいます。
今、「従順さ」に代わって必要とされているのは「論理的思考力」
カタカナで言うとロジカルシンキングの能力だと思います。
自分の考えを、「なぜそう考えるのかの理由」をつけて相手に
説明できる、相手を納得させる能力。
今の時代の「謙虚さ」は、ロジカルに議論して、他の考え方に
「それもそうなだな」と思えたら、自分の主張を引っ込めて、
それに従える、、、ということ。自分の価値観はしっかり持ちつつ、
でも、それを他者に押し付けない、、、ということ。
「自分の意見や考えを表現せずに我慢する」のは
全く「謙虚さ」に該当せず。
最近、〇〇ハラスメントが増え、話題になることが多いですが、
時代が変わっているのに、相手に「従順さ」を強要して、
ハラスメント認定されているものが結構あると考えます。
誹謗・中傷とか、そこまで行かないとしても、やたらと「他者を下げる
発言、投稿をして、相対的に自分を上げようとする」行為、
マウント行為、やたらと「それはマナー違反」とか突っ込む行為、
は、
自分に自信がないであるろうと同時に、
「自分は今も従順さを守っている、ネットで世間の標準?を把握して
それに従っているのに、あいつは、、、」みたいな
謎の嫉妬、羨望、やっかみが入っている気がします。
(自分で、自分はなぜそう考えるのか?を考える習慣のない人、
つまり、論理的思考力の不足している人は、 ネットなどで調べたり、
声の大きい人に「こうなんです」と言われると、盲目的に
それが正しいと考えて従っちゃう傾向を感じる。)
これからの時代に、親、上に立つ人、指導者、に求められるのは
立場や年齢が上であることだけを根拠に相手を従わせるのではなく、
「なぜそうするのか」を論理的に説明できること。
そして何より、メンバーが「自分はこう思うのだけど、、、」、
「なぜそうするの?」と
気兼ねなく発言し、議論ができる雰囲気が作れること。
これ即ち「心理的安全性」の確保ができること。
長くなったので、今日はとりあえずここまで。
この文章は、後々見直して修正していくかも。
書き込んでいただいたコメントは、当ブログオーナーの承認処理後に表示されます。